GOSSOに魂を売ったら鼻毛と生き別れた
鼻毛うざくね?
特に鼻の入口のやつうざくね?
切るのもだりーしミスったら割と痛いし、ピンセットで抜くわけにもいかんし。
そもそも鼻毛って何しよん?
というわけで完全に勢いからGOSSOを買った(楽天ポイントで買ったからほぼ送料だけで購入、ちなみに送料込みでも若干Amazonより安かった)
ラグジー ゴッソ(GOSSO)ハナゲヌキセット (両鼻10回分)
- ジャンル: 美容・コスメ・香水 > ボディケア > 除毛剤・脱色剤 > 除毛クリーム
- ショップ: ウエルシア楽天市場支店
- 価格: 1,944円
実際のところどうやって鼻毛を消すかいうことであるが、
ブラジリアンワックスとかいうバラエティでよく見るなんかすごいやつが錠剤の形で袋に入っている。一見するとヤバイクスリっぽい。良い。
それをカップに入れて、別の水を入れる容器とドッキングさせてレンチン。
錠剤がでろでろになるので今度はやや粘質になるまで待つ。
そして棒に絡めとって鼻にぶち込む。
固まるまですごくどんくさい絵面で待つ。この時間が途方もなくむなしい。
この後引き抜くわけなんだけど、あのパッケージのおっさん。「うおー!スゴイヌケタヨー!」みたいな愉快な顔してるよね。
実際はクソ痛い。
ちなみに使い方には事前の消毒が勧められてるうえに一気に引き抜けと書いてある。スポッと引き抜けるのかというとそういうわけでもなく、確実に人体から鼻毛が引き抜かれるミチミチッという感覚とともにとても緩慢な動作で引き抜かねばならん。中世の拷問かなんかか。悪魔め。
ただ、バツグンに抜ける。原理としては鼻の中でブラジリアンワックスが鼻毛を抱いたまま死ぬみたいなことである。針山みたいなのが出てきてちょっと楽しい。
アマゾンレビューを覗けばわかるのだが、なぜかインスタ映えがごとく自分で作った針山を嬉々として貼っている。ふつうにキモい。私も訳が分からんかったが、やってみると写真に残したい気持ちがわかってきた。結構恥ずかしいフローと思った以上の痛みを乗り越えた先に生まれているので、中世の拷問というより中世の芸術みたくなっているのである。しかも人体から生まれている。もはや宇宙である。神秘の世界だ。ほぼ盆栽と同じと考えてもいいだろう。ビジュアルも近い。
冷静になるとグロい。
率直な感想だが、個人差はあるだろうとはいえ痛みと引き換えに煩わしさから解放されると思った方がいいという感じは否めない。世の中うまくない、良薬は口に苦しといったところだろうか。あとワックスを思ったところに付着させて固めて削ぎとるのが結構難しい。
棒につけるタイミングと粘度も結構悩みどころ。付属のカップの数からして、1回あたり何回か試行して、削ぎたいところを削ぐのがよさそう。
鼻の中がよく切れる、気合で鼻毛抜くと殺人現場になるって人はヤバいかもしんない。
ただちょろちょろうぜー鼻毛に悩んでる人はベスト。間違いないぐらい消える。
こんなに鼻毛滅して、花粉症大丈夫かなって。
下書きの段階だと花粉なかったんで大丈夫だったんですけど、花粉シーズン到来して、普段はダメージ受けないような最終階層みたいな鼻の部分にダメージを受けました。GOSSO、おめーブルータスじゃねぇんだからさ。
ファインダーをのぞく目。
ついに一眼レフが私の手元にやってきました。ハロー新世界と言った感じです。2017年に入ってからあれやこれやと手を出して割と本格的にいろいろと趣味というか息抜きというか逆に意気込めるものというかを見つけては財布を開き、隙あらば財を投げという生活を送ってきたわけですが、今回も大きな買い物でした...
もちろん、さすがに初心者、エントリーモデルを選んだわけなのですよ。機種はこちらEOS Kiss X9iでございます
Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X9i ダブルズームキット EF-S18-55mm/EF-S55-250mm 付属 EOSKISSX9I-WKIT
- 出版社/メーカー: キヤノン
- 発売日: 2017/04/07
- メディア: エレクトロニクス
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いやぁ高かった!いろいろと備品を買い足すつもりでいたので、Amazonじゃなくてビックカメラで買って、保証もつけて、残りのポイントでブロワーだのレンズペンだのなんだのと買い足しまくりました。
完全に初心者なのですが、実は結構前から写真を撮るの自体は大好きで、ポートレートは苦手なんですけども、特に風景が好きでした。いつかスマホカメラじゃないカメラでもっといい写真撮れたらなぁとか考えてたフォトボーイです。
さて、買うにあたって結構な迷いがありました。買うか買わざるか。これに関しては値段で迷ってただけなので財布を豪快に強姦するしかありません。次は一眼レフかミラーレスか。かなり最後まで迷いました。最終的な決め手は「かっこいいから」です。ごめんなさい。一眼レフのあのごつい方が最終的に好きになっちゃったんですって。最後は「どこのどの一眼レフ(エントリーモデル)にするか」です。これも相当迷いました。迷ってる間に脳内で5回ぐらい一眼レフ買ってます。EOS Kissシリーズか、D5000シリーズかが良いなというところまでいって、ここからさらに機能だの細かいところをいろいろと見比べていった結果、EOS Kissシリーズの方を気に入り、そこからX8なのかX9なのか、そしてレンズキットはどうするのかというところへと。あのね、値段が値段だから仕方ないんだけども、いくらなんでも買うの難しすぎるよ。レンズキットは一本より二本ある方がお得やろ!という脳筋理論から。最終的に最新のX9iにしたのは、単純に解像度等々のアップグレードがあったからという感じです。
財布には無茶させたぜ...これからもさせるけどな...
早速直近にあった旅行にもっていったり、機会があれば持ち出して振り回しております。ううむ楽しい。昔にインスタントカメラで味わったファインダーを越えて収めるあの感覚。シャッターのきれる音。最新機種だけあって、とても機敏に動くというか、やりたいことがやりたいだけやれてとても満足です。初心者向けのガイド表示やプリセット等はじめて一眼レフを触る人にもわかりやすい表示が満載で、説明書を一通り読めばたいていのシーンはうまいこと撮りたいように撮れちゃうと思います。ええもん売っとるで...
調べればいろいろとエントリーモデルの比較とかなんとかいろいろと出てくるので、一眼レフ買うか悩んでる人は是非いろいろと比較検討してみるのが良いと思います。自分にあったカメラを。
これからまたいい景色が出る季節になってきました。僕は夏のあの白い日の照るうだる景色や、緑繁る風景と青との清涼感よりも、赤や黄色に染まる山や、焼ける夕暮れ、寒々しい白い青の凍える空が大好きなんですよ。これからも仲良くしてくれよな。
使いすぎ
SNSを使う上で異常にたくさんの自分ルールを課している。
中にはまぁネットリテラシーに照らせばそうなるだろうとかいうものとかも結構あるので、いちいちここに書き連ねまくっても仕方ないものもあるんだけれど、変なこだわりとして成立してるものがあるのでたまにいくつかピックアップしていくのもいいかなと思う次第である。
こういうことはだいたい生放送とかそういう場所でしゃべってもろくな論理だてにならないしね。
そういわけで、いつからやりだしたのかわからない自分ルールの一つに、SNSでの一人称というのがある。必ず「俺」は使わないということである。
普段から執拗にというかやけに不真面目な真面目さをもって日本語と遊ばせてもらっている。そういう遊びの中から出てきたルールのようなものの一つだ
それにつけてもなんでこんなことをしだしたのかというと、自分でSNSでみかける「俺」という一人称に異常におびえるというか圧力のようなものを感じていたからである。一体誰のどんな投稿を見てそう思ったのか知らないが(自分のことなのに)、おそらく動画もバリバリ投稿してSNSでそこそこ交流があったときにそう思ったからというのもあるだろう。見知らぬ他人からのかかわりやすさというものに異常にこだわった結果でもある。
もちろん文章の組み立てによってはそういうものを感じさせないものもいくらでもあるわけだが、それに気を遣うより、もういっそ「俺」を使わない方が、はるかにうまく回ってしまうのだ。「俺」を使って生まれてしまう殺気だった何かを抑えるために文章をこねくり回すよりハナから一人称を別の物にしてしまうとすっとする。
というかこの「俺」という字、いくらなんでもパワーを得すぎではないだろうか。カタカナで「オレ」と表記しても「おれ」と表記してもどことなく覇気のようなものがある。
発声してみても結構音圧があるというか、使いようによってはやはり強い力が出てしまう。
ちょっとネタ投稿しよう時にも「俺」というワードでなんかこう飲まれてしまうと感じるときがあるのだ。それぐらい「俺」というワードが文章の中で敷く圧政はすごい。「俺」というお代官が出てこようものならそこいらのネタなんぞすぐにギザギザの石の上に正座させる勢いである。何時代だ、まったく。
とにかく、SNSで何か投稿する際に「俺」を使うとたちまち考えることが増えてしまう。ありふれた一人称なのだから、それを見ておびえる人も何か抵抗も感じる人もいないだろうに、そもそも自分自身が打ちながら「これは何か違うんじゃないか」とか「なんだか図に乗ったような感じが出るな」とか日常会話レベルでは使っている一人称を封印している。
知らないだれかと会話するときいきなり「俺は、」とはいかないことを考えると、ネットの海という知らない人だらけの空間の中で常に一人称だけは整えておく、というのは我ながらさえているというか勝手に理にかなっている、という感じもしないでもない。